まちこしの見ること、やること、思うこと。

旅や日々の制作、しごとなどでまちこしが感じたことを綴るブログ

完璧主義は疲れる

こんにちは。
まちこしです。

「いや、まだ完成してないから世に出せない」
「準備満タンにしてから望みたい」
「全て揃えてから動きたい」
「失敗したくないから完璧にしてからやる」


いわゆる完璧主義、失敗したくない病です。

こういう自分のハードルの中で築城している方にかぎって
いやいや、もう十分だよっていう域まで達しているのに
いや、まだまだダメですっていう人が多い。
ある意味ではすごく真面目で真摯な態度なのかもしれません。

私もかつてこのタイプで気を抜くとまた戻りそうになります。
作品を作るのでも何かサービスを作ったり新しい事を発表することでも同じだと
思うのですが、結局何事も外に出さないとわからないんですよね。
何かと変に頭の回転が早いと能書きを垂れたり、やらない事、できない事に対する
それらしい言い訳を見事に構築するわけですが、何も出さないから何も変わらない
わけです。

準備も大事ですが、ひとまずやってみる、出してみるは準備しなくても得られる
ものがあるような気がします。
よくPDCA(plan,do,check,action)を回すといういいかたがあるけど、最近ではPはいらないんじゃないか?
という話もあるくらいで、プランしたところで出してみたら全然プラン通りいかないし、出した事による偶然性によって起こる事象にのっかって行った方が思わぬゴールが見えてきたりするものです。

私が新作を作る時も一応はこんな感じのものを作ろうとイメージやなんとなくデッサンは描いたりします。

でもそれ通りのものを作っていてもどこかもの足りなさを感じるのは私が職人肌じゃないからなのか、単に飽きっぽいのかわからないのですが、何かが生み出される瞬間って
「偶然性」って絶対必要なものだと思うのです。

この世が私だけで完結していない事を感じたくて私は何かを作るとき、こういった思いになるのです。

完璧の完璧が一体どこに向かっているものなのか、
それって本当はただの自分の奢りだったんじゃないのか?

人生も完璧な状態で死ぬなんてありえないと思います。
どこかの途上で命を明け渡す。
わたしと思っているわたしはわたしだけのものなのか?

そんな事を考え出してから、恥ずかしくても相手からの要望があれば
途中でも荒削りでもひとまず人の前に出すように考えを変えました。

それでも私は小心者なので恥ずかしかったり、怖かったりでなかなか
ポーンって行動できない時もあります。
だけど、変な理屈付けはしないようにしよう、している時は自分が逃げている
時なんだと気づけるようになっただけでも前より少しは変わったかな。

と思いたいな。

何より、完璧主義は本人が辛いので、どうぞほどほどに。


まちこし